maria_55’s blog

Yahoo!ブログで2005年~2014年まで書いていました。こちらは保管用。更新いたしません。

沖縄旅 2009年 その4 ~平和を願う~

夕方那覇に戻ってから叔父と別れ、母は嘉手納の妹のところへ
私はクイパラでお世話になっている先生のところへ
(父、弟家族はこの日帰京)

レンタカーを借りて、1月に沖縄に引越した友人と一緒に
南城市へ向かいました。

18時過ぎに到着してからしばしのんびりし
晩御飯はすぐ目の前にある花野果村(はなやかむら)の食堂へ♪
http://www.musu-b.com/shop241/

http://www.geocities.jp/maria_mc_2003/2009/okinawa_Jan_Feb/okinawa_365.JPG
美味しいパパイヤいただいちゃいました♪
3ついただき、1つは叔母に。2個はちゃんと東京まで持って帰ってきましたよ(笑)

パパイヤーチャンプルーとフーチャンプルー
そばもサーターアンダギーも
http://www.geocities.jp/maria_mc_2003/2009/okinawa_Jan_Feb/okinawa_366.JPG
沖縄の食事はみんな美味しい(笑)


ここで美味しいご飯&お酒をいただきながら
沖縄の地名って漢字読めないものがとても多い・・という話をしていたんですが

「仲村渠」

これ、地名も人名もあります。
読めますかねぇ??




「なかんだかり」と読むんですd(^-^)

私の祖母の旧姓はこの「仲村渠」。
翌日平和祈念公園に行くからと叔父に祖母の家族の名前をメモでもらってたんですが
「なかんだかりってどう書くの?」の友人の質問に、何気なくこのメモを出したところ
そこに書いてある名前を見て先生(クイパラでは太鼓を叩いたり三線を弾いていますが沖縄では戦跡ガイドもしています)は何かに気づいた様子。

家に帰ってからいろんな本を出していただき、TVで放送されたものの録画を見せていただいて
私が初めて知ったのは・・。

私の曾祖父(父方の祖母の父)や祖母の兄妹は日本兵の虐殺により亡くなったということ。

戦時中そういう事件はもしかしたらたくさんあったのかも知れませんが
その時の生き残りである大叔母や他の方々によって証言され
有名になった事件(渡野喜屋事件)なのだそうです。

そういえば以前話を聞いたことがありました。
(父の)叔母さんは浜で手榴弾を投げられたけれど
その時に子供(父の従兄)が泣き出した為、かがみこんだので命は助かった。
でも頭には今でもその時の傷が残ってると。

その話を聞いた時は高校生ぐらいだったはずなのに、恥ずかしながら全然私の中に話が入っていなかったので
先生から示された本を読んでただただびっくりするしかなく・・。

那覇から空襲を逃れて逃れて北上し、途中アメリカーに捕まった為
その指示に従い渡野喜屋の集落で寝泊りしていたところ
ある夜日本兵がやってきて、男達は山に連れて行き
女子供は浜に集めて・・・・・・。



当時私の祖母は成人していたので家族とは離れて大阪にいたそうです。
戦争が終わってから、自分の父親や家族のそんな最期を聞かされて
いったいどれほど悲しかったでしょう。どんなにか辛かったでしょう。
写真も見たことないひいおじいちゃんの話として聞いたって、とっても胸が苦しくなるのに・・・。

ふぅぅ。

父方の祖母は2004年に亡くなったのですが、
そういえば一度も戦時中の話を聞いたことがありません。
お笑いのテレビ見るのが大好きで、いっつもいっつも笑顔の人でしたが
きっと思い出したくもないことがたくさんあったんだよね。おばぁちゃん。

沖縄だけの話でなく、この時代のものだけでなく
戦争というのは人の「心」を壊します。
こんな悲しいこと、二度と繰り返してはいけない。
私、もう少しちゃんと知っておかなくちゃ。

この時に泣いて(結果的に)大叔母を助けたうちの父の従兄おじさん。
私はこのおじの影響で三線を習い始めてるんです。
4年前の弟の披露宴の時にわざわざ兵庫から出席してくれて
かぎやで風を弾いてくれたことにとても感動したので。

次におじさんに会えたらもっといろいろ聞いてみようと思います。

ふぅぅ。
なんだか重たい気分のまま就寝。


あっ、そうそう(*´ー`) 話題を変えて・・。

http://www.geocities.jp/maria_mc_2003/2009/okinawa_Jan_Feb/20090201235353.jpg
この日、不思議な果物を初体験しました。カニステルって言うんですって。
栗とかカボチャみたいな甘い味~。結構美味しいです。
帰りに買って行こうと思っていたのにすっかり忘れちゃいました。
次に行った時までに名前忘れないようにφ(・_・")


2/2(月)
翌日は先生のガイドで南部観光に出かけました^^

まずはウタキ、それから昔のままのお墓。
・・・と書きつつ、写真は一枚も撮ってません。
お寺に行くときもそうなのですが、カメラを向けてはいけないと思うことが多くて
(何か写りそう・・って恐怖心とも言う。私、ちょー怖がりなのです(笑))


続いて垣花樋水に向かう途中、とっても眺めの良いところで車を止めてしばし休憩
http://www.geocities.jp/maria_mc_2003/2009/okinawa_Jan_Feb/okinawa_370.JPG
仲村渠集落から見た海。

http://www.geocities.jp/maria_mc_2003/2009/okinawa_Jan_Feb/okinawa_371.JPG
奥に見えるのは久高島。久高は琉球創世の女神が降り立った聖地だそうです。

http://www.geocities.jp/maria_mc_2003/2009/okinawa_Jan_Feb/okinawa_372.JPG
垣花樋水(かきのはなひーじゃー)
日本の名水100選にも選ばれたことがある湧き水。
冷たくて気持ちよかったなぁ♪

http://www.geocities.jp/maria_mc_2003/2009/okinawa_Jan_Feb/okinawa_373.JPG
垣花樋水の近くからも海が見えます^^


http://www.geocities.jp/maria_mc_2003/2009/okinawa_Jan_Feb/okinawa_375.JPG
んっ??この木はどこで撮ったんだっけか^^;?
この後、糸数城(いとかずぐすく)とかも行ったのに
そういうところの写真が残っていない(笑)



さてさて、この日私がどうしても行きたいとお願いしていたのは健児の塔。
こちらは以前も書きましたが、母方の祖母の弟の名前が刻まれています。
何回か来ているくせに、一人ぽっちで怖い思いをしたり去年は友人と一緒に迷子になったり
でも、今年は頼れるガイド(先生)がいるから大丈夫ね~。

ということで、いつもはこの塔のところで失礼するのですが
・・・・初めてその下にある納骨堂まで降りる。
(T△T)こわいぃぃ。

ここで亡くなった人がたくさんいるのを知っているからそう思うんだけど
でも・・・・怖がったり忘れたりしてはいけない事実だよ。
頭と心がすごい葛藤(~ヘ~;)


私が東京に帰ったあと、ここでO田元知事が話をするイベントが行われたそうですが
先生がうちの大叔父のことを聞いてくれたそうです。
http://www.geocities.jp/maria_mc_2003/2009/okinawa_Jan_Feb/kenji.JPG
後で先生にデータをいただいたのですが
うちの大叔父が亡くなったのは沖縄戦が終わるわずか数日前ですよ・・(T。T)


その後、平和の礎(いしじ)へ
http://www.geocities.jp/maria_mc_2003/2009/okinawa_Jan_Feb/20090201231339.jpg
この写真は・・実は平和の礎の写真集を前日先生の家で携帯カメラで撮ったものですが
このように名前が刻まれているのをちゃんと見てきましたよ。
こっちは先に書いた父方の曽祖父達




http://www.geocities.jp/maria_mc_2003/2009/okinawa_Jan_Feb/okinawa_377.JPG
今も「平和な世界」とはいえないのかもしれませんが
でも、あんな悲しい時代が二度とくることがないように。



http://www.geocities.jp/maria_mc_2003/2009/okinawa_Jan_Feb/okinawa_378.JPG
悲しい歴史を飲み込んで・・海はとても静かでした。